賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます
あえて人が選ばない道を選ぶ
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鎌田
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神戸大学のご卒業ですから就職は関西かと思ったら、中京圏が拠点だった旧・東海銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行されたんですね。
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円山
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実は実家がお寺でして、私は23代目の跡継ぎでした。しかしその道が自分には合っていない気がして、どうしたらこの運命から逃れられるかと考えて選んだのが、地元から離れた東海銀行だったんです。
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鎌田
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しかも金融という世俗の世界へ。
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円山
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そうなんです。
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鎌田
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当時は都銀13行の時代ですよね。なぜ東海銀行だったんですか。
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円山
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それにも戦略があったんです。私は福井県の田舎生まれで、何も努力しなくても一番になれるような環境で育ちました。なにしろ小学校の同級生なんて6人しかいませんでしたから。ところが高校へ進学した途端、一気に落ちこぼれてしまいました。当たり前のことなんですが、自分は井の中の蛙だったと突きつけられたわけです。

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鎌田
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それまでは無敵だったというのに。
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円山
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ええ。以来、選ぶなら自分でも勝てる場所に限ると意識が変わりまして、就職も成功する可能性の高い環境という基準で選んだのが旧・東海銀行だったんです。
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鎌田
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なるほど。
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円山
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最初の配属で東京の池袋支店を希望したのも、関西採用の新卒の9割以上が関西勤務を志望する中で、人が選ばない場所なら勝てるという判断からです。逆張りですね。東京勤務での仕事も同様で、人がやりたがらない新規開拓の法人営業をやりました。しかも当時まだ海の物とも山の物ともつかないIT業界のベンチャーを中心に。
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鎌田
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賢いですね。確かにそれなら一目置かれるようになったでしょう。

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円山
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ええ。私の好きにさせてくれた上司のおかげです。おかげで実績が認められて本部に抜擢され、欧米の最新の金融事情を研究して今後の戦略に反映させていくという仕事を担当しました。これで最先端の金融事情を学べたと思います。
ちょうどその頃、世の中を騒がせたのが“コンピュータ2000年問題”です。実は東海銀行には“99年問題”というのがあり、2000年より前にシステムの不具合が発生しました。たまたま私は以前からそのリスクに気づき、社内で指摘した経緯があったことから、その流れでシステムを見ることになったんです。
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鎌田
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なるほど、それでITの知見を深めたと。
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円山
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ええ。その結果、これからの金融はネットと不可分だと学びました。そのタイミングで、ある人に誘われて、総合ローンサイトのイー・ローンの立ち上げに携わることになったんです。
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鎌田
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お話を聞くと、しっかりと運をつかんでこられたという印象ですね。都銀の大型合併がきっかけで飛び出されたのかと思っていました。
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円山
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私は合併や業界再編にはまったく関わっていないんですよ。仲間たちはずいぶんと苦労したようでしたが。
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