賢人を賢人たらしめている行動や考え方は。そして大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます。
就職せずに自ら選んだ“修羅の道”
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2001年に関西学院大学をご卒業直後、米国に留学されましたね。普通の就職活動はされなかったんですか。
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90年代に疲弊した日本は国際的なプレゼンスも落ちてしまい、私には日本円を稼ぐだけで大丈夫だろうかという思いがありました。自分自身、井の中の蛙だという危機感もありましたし。
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時代を読むのが早かったんですね。
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人生の最盛期は、社会人としてのキャリア20年ぐらいの頃じゃないですか。だから20歳そこそこの時点で活気ある企業じゃなくて、20年後にピークアウトする企業を見つけなければと思いました。それで日本で就活せずに、米国留学したわけです。とにかく20代は自分への投資だと思いました。修羅の道でしたが。
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留学先はアリゾナ州立大学の哲学科でした。
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米国人300人の中で留学生は私はキプロス人の2人だけでした。みんなものすごく勉強するし、読書量も半端ではなかったです。そんな中で自分を追い込むようにして勉強しました。私は物事を抽象化して構造化することが好きなのですが、その基礎はここで学んだと思います。米国には哲学科出身の経営者が意外と多く、私も哲学科で学んだことが今の自分につながっています。
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帰国後はどうされましたか。
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英語力を活かして、フリーランスの同時通訳になりました。大学院で学んだバックグラウンドがあったので大学で開催される学会の仕事が多かったですね。北海道大学の学会では6時間1人で同時通訳を務め、フラフラになりながらもやりきったことで自信がつきました。同時通訳というと女性のイメージがありますから、私は若い男性ということで重宝されましたし、ご指名で仕事をいただくことも多かったです。
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非常にユニークなご経歴ですよね。そこから起業されるのですから。
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同時通訳の仕事は面白かったんですが、週2日しか働かないような生活でした。そんなときに米国の大学の先輩から誘われて、彼が立ち上げた研修会社にNo.2として入社することになったんです。ここで私は中小企業の経営者向けの研修やコンサルティングを行いました。しかしコンサルタントの仕事は魅力的ではあったものの、オーナーシップはありません。そこで自らシリコンバレーで“ゼロイチ”のスタートアップに挑戦することを決心したんです。安定しそうになると、修羅の道を行きたい気持ちがうずいてくるんですよ、私の場合。
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