賢人を賢人たらしめている行動や考え方は。そして大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます。
大相撲というと、やはり厳しい世界というイメージがあります。
私が子どもの頃からそういうイメージはありましたが、稽古が厳しいのはどんなスポーツでも一緒です。一般のアスリートがトレーニングと呼ぶものを私たちは稽古と呼び、先輩は兄弟子と呼ぶ、そんな違いぐらいで相撲だけが特別に稽古が厳しいということはありません。
なるほど、稽古や練習が厳しいのは当たり前だと。
では何が厳しいかというと、私たちの頃は15歳で部屋に入って、一つ屋根の下で生活しながら炊事、洗濯、掃除をこなさなきゃなりませんでした。当然できっこないですから、見よう見まねで、叱られながら覚えていったわけです。加えて年功序列の世界ですから、先輩に言いつけられた用事もやらなくてはなりません。生活のすべてが修行でした。もっとも今の時代は親が子どもに家の用事をやらせないから、部屋に入って仕事を言いつけられても「なぜ自分が」という感覚ですね。
親方の頃とは時代が変わってしまったということでしょうね。親方は中学を卒業後に角界に入られました。
私は北海道出身なんですが、中学時代に185cm・80kgありまして、スカウトから声をかけてもらったことがきっかけでした。ただ当時は柔道で頑張っていたので、相撲取りになるつもりはなかったんです。父親と一緒に東京見物させてもらいましたが、まったくそんな気はなくて、たぶん父親が一番困ったんじゃないですかね。
それがどのような経緯で入門されることに。
父親は入門に賛成、母親は自分の好きにすればいい、親戚は反対という状況でした。その中で小さい頃からずっと私の面倒を見てくれていた叔父が私に向かって「柔道で世界一もいいが、相撲で日本一になればそれも世界一だ。お前ならやれる」と説得してきました。たぶん父親に頼まれて口説いたんでしょうね。その瞬間、自分と一緒に反対してくれる人はもういないと思い、入門することを決めたんです。
右も左もわからなかった15歳の少年が、そこから相撲を学んで横綱まで出世されたんですね。
まあ、私も相撲のことがわかっているかというと、今でもわかってないですから。私は29歳になる寸前で引退しましたので、30過ぎた弟子に対しては「君らより俺の方が相撲経験が浅くて申し訳ないね」と話しています。横綱になったから知っていることは教えるけどね、と。私は確かに第62代の横綱になりましたが、横綱というのは人が認めてくださって初めて横綱なんですから、今は単なる1人の親方だと思っています。老人ホームに行けばおじいちゃん、おばあちゃんが「お相撲さんが来た」と手を合わせてくれます。そんなふうに皆さんに喜んでもらえれば十分です。
※この対談は2023年5月30日に弊社「GINZA XI」ラウンジ(東京・銀座)にて行われました。
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