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並外れた決断力と行動力が、運を呼び込む。(ゲスト 土屋尚史氏:第1回)

作成者: Discovery~賢者の習慣~ 編集部|2021.06.02

賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます

確かに生きた証しを残したい

鎌田

学生時代に大病されたことが、大きな転機になったそうですが。

土屋

ええ、今の自分があるのもあの病気のおかげといっていいでしょうね。

鎌田

どんな学生時代でしたか。

土屋

堅苦しかった高校生活から解き放たれたように自由を謳歌し、居酒屋、カラオケ屋で、バイトリーダーとして土日もなく働いていました。経営者目線でみれば、なんと素晴らしいアルバイトだったろうと思います。

鎌田

意識高めのバイトだったんですね。

土屋

そのまま社員になってしまえと思ったほどでした。ところが体調を崩して病院に行ったら「大変だ、すぐに入院しなさい」と。病名はいえませんが命に関わるほどの病気だったんです。当時21歳で、病室の天井を見ながら“オレはこのまま死ぬんだ”と覚悟したほどでした。ところが非常に幸いなことにいい薬と出会えて、わずか2ヵ月で退院できたんです。

鎌田

それはよかった!

土屋

そこで考えたのが、オレの人生このままでいいのか、と。“少なくともカラオケ屋じゃないな”と思いました。

鎌田

なるほどねえ、確かに。

土屋

まずはいったん大学に戻ろうと思い、復学しました。そして受けたのが『ベンチャー起業論』という講義。これがすごく刺激的で、孫正義さん、三木谷浩史さん、板倉雄一郎さんなどそうそうたる起業家のことを知り、偉大な先輩たちの言葉に大きな共感を覚えました。それで自分もこの先どれだけ生きられるかわからないから、確かに生きたという証しを残すために起業しようと決めたんです。すぐに大学を退学し、まずは社会人経験を積もうと就職しました。

鎌田

決断したら行動が速いですね!

土屋

入社したのが大阪のITベンチャー。営業でした。その後、上京してIT系のスタートアップに転職し、技術営業としてITやWebの世界にどっぷりとはまったんです。ところが家族の事情で大阪に戻らざるを得なくなり、同社を退職して大阪のWebデザイン会社に入りました。そんな日々を過ごすうちに、自分の中の悶々とした思いはどんどん大きくなっていったんです。

鎌田

とおっしゃると。

土屋

30歳で起業すると決めていたのに、そこに向かって進んでいる実感がまったくなかったからです。当時スティーブ・ジョブズがiPhoneで世界に衝撃を与えたというのに、僕の周りでは「こんなものが日本で成功するわけがない」という声ばかりで、いったいオレはこんなところで何をやっているんだと思っていました。ところがある日、空からお金が降ってきたんです。

鎌田

え?

土屋

亡くなった祖母が僕の名義で郵便局に定期預金を遺してくれていたことがわかったんです。満期の通知が来て判明しました。まったく想像もしていなかったことでした。そのお金を前に“おばあちゃんが背中を押してくれているんだ”と思い、起業のために一歩を踏み出そうと決心したんです。27歳のときでした。

 

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