賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。 インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます
工藤さんといえば、その息の長い野球人生が有名です。1982年にプロ野球に入ってから現在に至るまで、どうしてそんなに長く活躍を続けられているのでしょう。
失敗から何を学ぶかを大切にしてきたからかもしれませんね。
失敗というと、工藤さんにとっての最初の挫折とは、やはり20代後半に故障離脱したときですか?
いやいや、プロに入った当初から壁にぶつかっていました。ここでは自分は通用しない、絶対に無理だと思い、入団から2年半はいつ戦力外通告されてもおかしくないということしか頭になかったです。人に教わっても球が速くなるわけでもないし、コントロールがよくなるわけでもない。どうやったら自分がうまくなれるか、さっぱりわかりませんでした。そんなときに、当時の広岡達朗監督に「アメリカへ行け」と言われてアリゾナの教育リーグに参加することになったのです。あれが大きな転機でしたね。
やはり米国で学ぶ野球は違ったと。
環境そのものが違うんですよ。ドラフトにかからずに1Aでプレーするしかない選手たちと一緒に過ごしたんですが、彼らは数日分のミールマネー(食事代)を支給されてプレーし、一週間もして芽が出ないとなるとクビを宣告されて辞めていってしまう。そんな彼らに「これからどうするんだ」と聞くと、「今回はたまたま結果が出なかっただけさ。もう一度どこかでトライアウトを受けて、オレは必ずメジャーに行くよ」という答えが返ってきました。絶対あきらめない夢を持っているし、自分にはできるという自信があるんです。当時の僕にとっては考えられないようなマインドでした。
とことんポジティブなんですね。
もう考え方が根本的に僕らと違うと思いました。そんな彼らを見て、戦力外通告されてもおかしくないなんていうマイナス思考じゃダメだと気がついたんです。もちろんトレーニング方法など、日本には日本の優れたやり方があります。しかし、プロフェッショナルとしての考え方は、1Aの彼らから教わることができました。
帰国されてから野球への取り組み方が変わりましたか。
そうですね。以前はきつい練習の時はブツブツ言いながらこなしていたのが、帰国してからは一つひとつの練習の意味を考えながら取り組むようになりました。かつて“八時半の男”と呼ばれた故・宮田征典コーチの指導もあって、帰国3ヵ月後には球速が10Km/hも伸びて、翌年には先発陣に入ることができたんです。初タイトルの最優秀防御率賞も取りました。
それで軌道に乗ったと。
いや、その年は8勝どまりだったので、まだ軌道に乗るまではいってませんが(笑)。
考え方が変われば行動が変わり、結果も変わってくるということですね。
想いが強くなければ人は成長しないんだと思います。思考が体に及ぼす影響というのはとても大きく、今も若手に対しては“なぜこの練習が必要なのか”を説いて、理解させた上でトレーニングをさせています。説明を聞いて考え方が変われば、トレーニングの結果も変わってくる。インプットが変われば、アウトプットも自然と変わるんです。
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