賢人を賢人たらしめている行動や考え方は。そして大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます。
ベンチャーキャピタルで多くの実例を見たことが五十嵐さんの財産になったわけですね。
ええ、投資を行う中で、事業側に回りたいという気持ちも強くなっていきました。それでインターネット領域での事業を提案していた起業家の方に「君が提案したんだからやってくれないか」と誘われたことがきっかけで退職し、起業に参画することになりました。
どういう事業だったんですか。
インターネットメディア事業です。ただ当時はナローバンドの時代でなかなかビジネスが広がらず、うまくマネタイズできませんでした。それで3年間で20億円を使い切ってしまいました。
20億ですか。使いましたねえ。
その後アメリカでインターネットリサーチが流行っているからやってみようという話があり、事業を立ち上げました。この事業は初期投資に何億円も必要とするものだったため次第にうまく行かなくなったんです。それなら会員組織は持たずにインターネットリサーチができるようにすればいいと考え、これなら絶対に成功するという自信がありましたから、独立して自分で事業を起ち上げることにしました。
なるほど、当時はまず会員組織を用意するところから始めなければならなかったんですね。
ええ。それなら既に大規模な会員組織を持っているところと組んじゃえばいいと。自前で用意してもそれはニッチな集団に過ぎませんし。だから私たちはお客様のニーズに合わせて、リサーチの対象となるデータベースとのアレンジメントを行うようにしました。つまりインターネット・リサーチ・エージェンシーです。
いいアイデアですね。
それで2003年に起業し、今年でちょうど20年というわけです。
成長スピードは速かったですよね。2008年にはIPOされていますし。
ただ私たちの上場承認の1週間後にリーマンショックが起きました。そのため日経平均が一番低かったときに上場するはめになったんです。ただIPOをやめようとはまったく思わなかった。ベンチャーキャピタルにいたので、上場できるときにしておかないとダメだというのは知っていましたから。
確かに、あのときやっておけばよかったって後悔している話はよく耳にします。素晴らしい経営判断でしたね。
そんな状況でのIPOでしたからまったく注目されず、上場後もがむしゃらにやるしかなかったんです。上場が新たなスタートになってしまった。
M&Aも相当やられてきましたね。
業種というものに対するこだわりがないんです。お客様の期待に応えられるなら何でもいいと思っています。自分のやりたいことを優先して失敗する例は、ベンチャーキャピタル時代にたくさん見てきましたし。
なるほど、プロダクトアウトだと失敗すると。
マーケットインでお客様のニーズに応えていくことが重要なんです。ベンチャーキャピタルで多くの事業事例を見たことで学んだのは、それだったと思います。
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