賢者の投資術 Powered by OPEN HOUSE

企業と生活者を結ぶ新しいプラットフォームづくり。(ゲスト 山口 拓己氏:第1回)

作成者: Discovery~賢者の習慣~ 編集部|2022.04.06

賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます

ネットビジネスへの想いを貫く

鎌田

素晴らしいオフィスですね。

山口

先月(2022年2月)引っ越したばかりなんです。旧本社の2.7倍の広さになりました。

鎌田

ゆったりとランチを楽しんでいる社員さんもいらっしゃいます。山口さんが新卒で入社したのは証券会社でしたよね。当時はちゃんとお昼も食べられなかったのでは。

山口

食べても10分以内でしたね。とにかく新人はひたすら外を回って新規開拓でした。1丁目から5丁目までのお宅を、今日は1丁目、明日は2丁目と順に訪ねて回るんです。もちろん会ってもらえないんですが、不思議なことに3ヵ月も通い続けるとお客さんになってくれる方も出てくるんです。

鎌田

かの山一證券でしたよね。支店はどちらだったんですか。

山口

福井支店です。日本一雨の多い県でしたから、雨や雪の中を一日中歩きまわっていました。なにしろ会社にいるとサボっていると思われましたから。

鎌田

当時の出社時間は。

山口

7時前でした。当たり前のようにみんなタバコを吸っていた時代でしたから、まずデスクの吸い殻を片付けて、日経新聞や業界新聞を先輩それぞれの好みに合わせて7時までに配り終えるのが新人の役目でした。慣れてからは6時50分に出社すれば間に合うようになりましたが。

鎌田

山一證券が破綻したときは、もう辞められていたんですか。

山口

ええ。当時はアメリカでインターネット企業が大変な勢いで伸びていて、日本でも勃興期を迎えようとしていました。この波に乗ろうと、大学の先輩が立ち上げたネット企業に転職することにしたんです。

鎌田

そうだったんですか。どんなビジネスを?

山口

日本製のブラウザを開発しようとしていました。あの頃はいろんな企業が挑戦していて、結局我々のところはうまくいかず、失敗に終わりました。

鎌田

それでコンサルティングファームに移られたと。

山口

何でもやりますと頭を下げて入れてもらいました。よく採用してもらえたものだと今でも思います。そこでは大手企業の財務系のプロジェクトを皮切りに多くの案件に携わりました。英語が苦手だから英文の会計資料に苦戦した記憶があります。

鎌田

その後、株式会社ベクトルさんに入社されたのは、やはりネットビジネスに再挑戦したいという思いですか。

山口

そうですね。最初にベンチャーに転職した頃からリアルのサービスがどんどんネットに置き換わっていき、手つかずの分野はほとんど残っていませんでした。

鎌田

人材ビジネスも車の販売も、ネットにシフトしていましたからね。

山口

ところがまだネットに置き換わってなくて、かつ企業経営に近いところにあったのが、PRの分野だったんです。当時、PRといえばタレントさんを呼んで記者会見するのが一般的な手法だったので、ネットに置き換えるチャンスは十分にあると考えました。それでベクトルに転職しました。

関連記事
勝つためには人のやらないことをやる。(ゲスト 円山 法昭氏:第2回)

勝つためには人のやらないことをやる。(ゲスト 円山 法昭氏:第3回)

勝つためには人のやらないことをやる。(ゲスト 円山 法昭氏:第4回)

オープンハウスの米国不動産投資
業界初!ワンストップサービスを提供し、名実ともにアメリカ不動産投資のパイオニアに。

オープンハウスはなぜ“米国”不動産に取り組むのか

なぜ、こんなにも多くのお客様にご支持を頂いているのか(その1)

なぜ、こんなにも多くのお客様にご支持を頂いているのか(その2)

なぜ米国不動産と法人税繰延の相性は抜群に良いのか。