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Jリーガーからキャスターへの鮮やかなサイドチェンジ。(ゲスト 水内 猛氏:第1回)

作成者: Discovery~賢者の習慣~ 編集部|2022.06.02

賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます

創生期のJリーガーとして輝く

鎌田

水内さんは元Jリーガーですが、サッカーはいつ頃から始められたんですか。

水内

小学校2年生、7歳のときでした。Jリーグもなく、日本代表の放送もめったになかったですから、ルールも詳しく知らなかったです。漫画の『キャプテン翼』を見て「オーバーヘッドキックってどうやるんだろう」なんて考えていました。

鎌田

世代的にはまだ野球ですよね。

水内

ええ。当然、野球もやってました。左利きで足も速く、ピッチャーで1番バッターでした。大谷翔平よりも先だったんですよ。

鎌田

さすが、運動神経は抜群だったんですね。

水内

週末になると午前はサッカーで午後は野球の試合、車の中で着替えて夜はまたサッカーの練習という感じでした。野球のユニフォームからサッカーに着替えるのは大変だったんですよ。

鎌田

高校では全国大会に出場されて、強豪の清水東高校を破ってベスト8に進出されました。

水内

僕の素晴らしいヘディングシュートで勝ちました。そのときの清水東のキャプテンがJリーグの今のチェアマン、野々村芳和さんなんです。

鎌田

その後、名門に三菱自動車に入られました。浦和レッズです。

水内

「三菱自動車は必ずプロリーグに参加します、本拠地は東京です」という話だったので、決めました。ところが入ってみたら「結局浦和になりました」と。

鎌田

でも浦和レッズって凄かったじゃないですか。人気が。

水内

熱かったですねえ。何が凄かったかというと、どんなアウエーでもサポータが応援に駆けつけてくれたんですよ。選手としてはあれが大好きでした。もちろんホームはいつも満員なんですが、アウエーの応援席も満員にしてくれました。

鎌田

会社に置き換えると創業期でしょう。その時期を熱いサポータに支えてもらったんですね。

水内

しかも応援の声が他チームとはまるで違いました。女性サポの多いチームの声援は高い声でしたが、浦和は男性のファンが多かったので太くて力強い声援だったんです。迫力がまるで違いましたね。

 

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