賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。 インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます
お父様も事業家だったとのことですが、大きな影響を受けられたのでしょうか。
そうですね。20代の頃は、“睡眠4時間、メシ1食”で仕事一筋でした。
メシ1食って(笑)。
まあ、それぐらいの勢いで、ということですが。
お父様が早くに亡くなられてご苦労されたそうですね。
私は父が64歳の時に生まれた子でして、中学生ぐらいで父はすでに介護が必要な状態でした。亡くなったのは私が22歳の時です。そんなこともあって家は経済的に苦しく、中学、高校はアルバイトで家計を助ける毎日でした。休日も働いていましたし。
アルバイトは何を。
朝はマクドナルドの早番シフト、夜は居酒屋などでした。あの当時はまだ未成年が遅くまで働いても許されましたから。
夜もバイト、休日もバイトで、その延長で社会人になられたのですか。
いや、その反動で高校卒業後はサーフィンに夢中になり、一時は海の近くに住んでプロを目指しました。ただ、やはり自分の実力では食べていくのは難しいと悟り、それと同時に自分の中に何か一つ、確かな柱を立てなきゃダメだと考えて、地元に戻って住宅の仕事をすることに決めたんです。
地元というと、ご出身は。
埼玉県の所沢です。入社したのは同じ埼玉県の大宮の会社でしたが。
なるほど、そこで社会人としてのスタートを切ったわけですね。
ええ。幸いトップセールスになり、最年少で取締役に就任することができました。
素晴らしい。おいくつでした?
24、5歳だったと思います。
ずいぶんとがむしゃらに働かれたんでしょうね。
新しい事業部を設立して、全力で突っ走りましたが、ふと後ろを見たら誰もいなかった、なんていうこともありました(笑)。
誰もついてこなかった?
ええ、そんなことが2、3回ありました。辞めた人間もいましたし。
その後、独立されたということですか。
新しい事業部について責任もって取り組みたいということで、独立しました。当時の部下には、売上はトップだけれど竣工後の住宅の引き渡しが下手だとか、セールスはうまいのになぜか顧客満足度は低いとか、そんなスタッフも多く、彼らの力を存分に引き出してやりたいという思いもありました。何よりも私自身若かったですから、独立心が強かったですね。
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