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車椅子のプロレーサー。可能性もフルスロットルで。(ゲスト 青木拓磨氏:第2回)

作成者: Discovery~賢者の習慣~ 編集部|2021.04.14

賢人たちを賢人たらしめている行動や考え方は。そして、大切にしている習慣は──。
インタビューを通じて、そんな共通点を探っていきます

「さあ、何から始めようか」とドクターは言った

鎌田

大きな節目となったのが、1998年にテストコースで事故に見舞われたことですね。

青木

24年前の2月5日でした。現在47歳ですから、車椅子人生のほうが長くなってしまいましたね。まさにあれが第二の人生のスタートでしたから、気持ちは今24歳です。

鎌田

脊髄損傷という大けがでした。

青木

速度は50km/hも出てなかったんですよ。コースアウトしてクラッシュパッドに突っ込んだんですが、頭はすごく冷静でした。全部はっきりと覚えていますよ、どんなふうに転んだのか。

鎌田

普段からそんなに冷静なんですか。

青木

意外と冷静なんです。250km/hで走っていても「今晩何食べようかな」なんて考えたり。歌ってることも多いですね。ちびまる子ちゃんとか。

鎌田

ピーヒャラピーヒャラって?

青木

ええ。一番しっくりきますね。

鎌田

そういうものなんですねえ。

青木

ですから事故のときもすごく冷静で、“大丈夫かな、足が折れたかな、あれっ、足の感覚がないぞ”と。やはり事故で脊髄損傷になった仲間がいたので、“ああ、これがそうなのか”と思いました。

鎌田

大事故に遭われたというのに3日で気持ちを切り替えられたとか。

青木

こんなところで立ち止まっていられないと思いましたね。それで5月にアメリカに飛んだんです。

鎌田

事故の3ヵ月後に。

青木

当時、脊椎損傷についての世界中のエキスパートがマイアミに集まって研究活動をしていたんです。半身不随で、日本では一生足は動かないと言われたものの、自分では動かせるようになる気がしたんですよ。

鎌田

なるほど、それでマイアミへ。

青木

ええ。マイアミではドクターの問診を受けました。そうしたらそのドクターが「さあ、何から始めようか。何でもできるぞ」と言ったんです。

鎌田

日本で言われたのとまったく違うんですね。

青木

そうなんです。ドクターは「これからは腕が君の足だ。車椅子をこぐのも、風呂に入るのも、生活のすべてで手が足の代わりをする。だから手を鍛えよう」と。ドクターに出会って「何でもできるぞ」って言われた瞬間、私は心のカギが解放されたと思いました。車椅子だからできないなんてことはないんだ、と心が開かれたんです。それから10年間、毎年マイアミに通ってリハビリしました。結局、足が動くようにはならなかったけれど、やりたいことをやるんだと決めて、四輪ドライバーとして復帰することを目指しました。

鎌田

2輪から4輪へというケースは多いんですか。

青木

もちろん多いですよ。ただ私の場合、ライセンスがなかなか降りませんでした。当時、車椅子では発給されなかったんです。

鎌田

その壁を乗り越えていったんですね。

青木

メディアの力も借りて、規制を変えました。ヨーロッパでは、私のようなMotoGP出場レーサーは街を歩いていると声をかけられるほど、リスペクトされます。絶対にもう一度そんな自分を取り戻してやると決意していましたし、自分の可能性は自分が決めると思っていました。最初は小さい火種かもしれないけれど、賛同する人が増えれば炎はだんだ大きくなるんです。大切なのは、情熱の火を灯すことだと思います。

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